親父のアルツハイマーに向き合うための準備を開始

東京に来た親父と2時間ほど一緒に過ごした中で、同じことを5回ほど繰り返し質問され、 一気に不安になったぼく。

考えすぎかもしれないし、違っていてほしいと強く願いながらも、お酒も入っていない日中の出来事として実際に目の当たりにしてしまうと、やはり認知症なんだろうなという絶望感に襲われました。

その後、お袋や妹に最近の親父の様子を確認したり、妹の親友の看護師さんに認知症について相談したり、自分でもネットで調べたり…その当時必死すぎたのか細かな記憶が飛んでしまっています。7年前の2012年当時、親父は65歳。ギリギリ若年性アルツハイマーと呼ばれる年齢でした。

家族に認知症の疑いを持った時、最初に直面する大きな問題

それは本人にどう説明して病院へ連れて行くか、ということ。体が元気でバリバリ働いているような人であれば尚更に難しく、ましてや認知症の疑いだの記憶に問題があるだの言われたら、聞く耳持たず激怒されることもあるんじゃないかと思います。

親父はその頃、個人で仕事を請け負い、図面を書いて外注に出し、車で東京の現場へ出張するなど、仕事においてはすべて自分でやっていた人だったので、認知症の疑いということで病院へ連れて行くことは困難であろうことは覚悟していました。

そんなこともあり、時間はかかるかもしれないけれど親父を病院へ連れて行くには自分が近くにいる必要があると思い、あっさり実家に帰ることを決意しました。ただ、当時の自分の仕事がうまくいっていなかったことが大きかったかもしれません。大学進学で上京して以来、16年ぶりの実家暮らし。

決意してから引越しまではあっという間で、サクッと業者を決め、サクッと荷物を段ボールに詰め、1Kの部屋に積み上げること30箱ほど(笑)12年間にとんでもない量の荷物を溜め込んでいました。

あっさり実家へ戻ることを決断したものの、その街で出会った人たちとの別れはなかなかつらいものがあり…大切な人への報告も引越し一週間前になってしまいました。ダメなやつです。

親父の病気を認識した出来事から引越しまでのおよそ1ヶ月半程度、少しずつ少しずつ親父の病気に立ち向かう心の準備ができていったように思います。そんなぼくとは対照的に、現実を受け入れたくない気持ちの強かったお袋と、実感が湧いていない妹。ここからぼくらの間に少しずつギャップが生まれてくることになります。

このアルツハイマーという病気、家族の中で悪者にならなければならない損な役回りが必要となります。我が家でいえばぼく。このあと親父にとって残酷なことを言ったり、したりしなければいけない場面が何度もやってくるとは、この頃まだ想像もしていませんでした。

親父を病院へ連れていくために思いついた妙案とは

実家に戻ったぼくは早速親父を病院に連れて行くことの難しさに直面します。忘れっぽいという話をすれば、元々すぐ忘れるタイプの人間だ!だから気にしない!となり、年齢もあるから検査してみようといえばそんな必要はない、と機嫌を損ねてしまいます。無理矢理予約を取って強引に連れて行こうとした日の朝は、直前になって絶対に行かないと揉めに揉めてキャンセルに。

実家に戻ったのはまだまだ暑い9月の頭でしたが、やっとの思いで病院に連れて行けたのは10月。親父を病院に連れていくために思いついた妙案とは!なんて勿体ぶる話でもないですが(笑)ぼくはこれまでひとつも役に立ったことのない体重三桁ある自分の体を利用することにしました。これだけ太っているから脳の血管が詰まっているかもしれない…心配だからMRIを撮りたいのだけれど、とても不安なので親父も一緒に撮ってほしい。

これまでの話の流れを考えるとどうしたって認知症の疑いからの検査だろうと親父は思ったかもしれませんが、ぼくの体のことを言えば断れないだろうなと親父の優しさを利用した腹黒いぼくです。それでもやっとのことで親父にMRIを撮らせるところまでこぎつけました。

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