ぼくが実家に戻った日から親父を病院へ連れて行き脳神経外科の先生の診断に至るまでおよそ1ヶ月。
親父が病院へ行くことになんだかんだゴネて難しいだろうことは想定していましたが、それでもさすがに家族がこれだけ心配しているのが伝われば、仕方ないと観念して行ってくれるだろうと考えていたぼくの見立ては甘かったですね。
それくらい、 受け入れ難い病気なんだと今はより強く実感しています。
診断の結果を受け、親父は薬を飲み始めることになりましたが、MRIで明確な脳の萎縮は見られなかったことで、どこか安堵していたぼくら家族一同。
ですが、主治医の先生は診断の際に、お袋やぼくが親父の認知症を疑った行動の数々を聞いた上で、 アルツハイマー型認知症は始まってはいると思います、と伝えてくれました。
それでも、認知症=脳の萎縮というイメージが自分の中で強く、本格的な症状が出てくるまでの時間的な猶予はまだまだあるんだろう、という勝手な希望を抱き日々生活していました。
師走の穏やかな夜、一本の電話で状況は一変
そんな勝手な希望が吹っ飛んだのが、師走のある穏やかな夜。親父とお袋は友達の家に遊びに行っていたので、帰省していた妹と二人、居間で夕飯を食べていました。
すると、ぼくの携帯が鳴ります。ぼくも昔から良くしてもらっている、親父の友達Aさんからでした。
Aさん
ぼく
Aさん
ぼく
Aさん
ぼく
電話を切りました。気が動転していたこともあり、親父に確認することもなく断ってしまいました。Aさんの言う通り、そんなことあり得ないのです。いくら適当で気にしない親父でも仕事に関して連絡しないとか忘れるとかあり得ない。ましてや自分から頼んでいるわけだし…
当時の親父は仕事の依頼が来れば忙しくしていましたが、何も予定が入っていない日も多かったので、Aさんや他の友達の仕事を手伝うことも頻繁にありました。
そして実家に戻って以来、仕事に就いていなかったぼくを気にしていたのでしょう。自分とぼくと二人で何か手伝えることはないかとAさんにお願いしていました。
Aさんは親父の弟分のような人で、ぼくら家族みんな親しくしていたにも関わらず、それをきっかけに疎遠になってしまいました。本当に申し訳なく思いますが、この病気、周囲との関係を難しいものにしてしまうことが多々あります。
では、気が動転していたとはいえ、なぜぼくが親父に確認もせずAさんの仕事を断ったのか。そして、親父がなぜ電話に出なかったのか。
それについてはまた次回。
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